キリスト教について〜『日本国民の新教養』からのアウトプット〜
少し時間が空きましたが、今回も前回どうようにKAZUYA氏の『日本国民の新教養』について気になった箇所を記録しておきたいと思います。
今回は「キリスト教」についてです。
|キリスト教とは
- 信仰者数は20億人といわれていて、世界で最大の宗教。
- 「イエス・キリスト」の教えを信じる、ユダヤ教よりはゆるい宗教。
- キリストは、実は名前ではなく「救世主」(ヘブライ語ではメシア)という意味。
- イエスが生まれた当時、その地方ではユダヤ教が広まっていたが、ユダヤ教の教えは厳しく、教えを守れない人が多数いた。そこで、イエスは「律法を厳密に守れなくても大丈夫、神さえ信じれば救われる」というように改革を進めていった。
- このイエスの改革が、ユダヤの支配層から反感を買ってしまい、裁判に掛けられる。そしてローマ総督の元で反逆罪として死刑が宣告され、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)の刑に処される。
- しかし、その死後にイエスが蘇ったという噂が広がり、「イエスはメシアだった」→「イエスは神だった」となり、イエスの考え・教えがキリスト教へと発展していく。
- イエスの教えは、弟子たちによってまとめられた。これが「福音書」となる。福音のことを英語でゴスペルといい、Good、Spell(良い、話)という意味。これがさらに時代を下って『新約聖書』としてまとめられる。
- イエスとヤハウェ(ユダヤ教の神)とは別なのかという疑問は、三位一体で、父、子(キリスト)、聖霊は一体であると考えられて、ひとつの神だと捉えられている。
- 当時、ローマ帝国が 地域一帯を支配しており、キリスト教は迫害されていた(ローマ帝国は多神教的だった)。しかし、キリスト教は「信仰を守れば死んで天国に行ける」と考えられていたので、迫害されても信仰する人々は減らず。結果として、ローマ帝国がキリスト教を認めるようになる(ミラノ勅命)。
- その後、ローマ帝国は東西に分離することになり、キリスト教も東西に分裂。西側がローマ・カトリック教会、東側が東方正教会とになる。ちなみに、カトリック教会の長をローマ教皇(法王)という。
- その後、16世紀にカトリックが宗教改革によって、プロテスタントに派生していく。この宗教改革の主導者が教科書で習う、マルティン・ルターになる。
- 宗教改革の原因は、カトリックにおける教会の勢力拡大が行き過ぎた結果によるものであり、その一例が免罪符の発行である。
- この宗教改革で、カトリックに意義を唱えた人々がプロテスタント(講義する人)となる。
- プロテスタントの一派である清教徒(ピューリタン)がアメリカに渡って、国を作っていったことから、アメリカではプロテスタントが多い。
- カトリックは、積極的に布教活動を行う一方で、プロテスタントは布教を行わない。また、カトリックや東方正教教会では、司祭(神父)といい、プロテスタントでは牧師というなどの違いもある。
ザックリと、以上な感じです。
知っていたこともありつつ、知らなかったこともありつつ、今回も非常に勉強になりましたね。
それでは、チャオ!!