キャッシュレス促進と紙幣デザインの変更について
20年振りにお札のデザインが新しいものに変わるとのことです。
2024年の上期に変更なので、今から約5年後の予定とのこと。
一方で、2019年の10月には、経産省主体でキャッシュレス促進事業というものもも進める。
キャッシュレス決済比率を2020年に40%まで引き上げる目標(2016年は、約20%)。
2018年がキャッシュレス元年と言われていたことを考えると、2024年にキャッシュレス比率が、かなり高まっていてもおかしくない。
そう考えると、なぜ今やる?としか、言いようがない。
デザイン変更に伴う、経済効果があるというニュースもあるものの、
もっと別のことにお金を使おうよ!
としか思わない。
最近の政府の動きを見ていると、本当に将来が不安になる。
消費税増税、軽減税率、ポイント還元、紙幣デザイン変更
もっとやることいっぱいあるんだけどなぁと、誰しもが思っていることを思わざる得ない。
スルガ銀行 かぼちゃの馬車の不正融資に関しての感想
女性用シェアハウス「かぼちゃの馬車」の購入資金に対する、ローンを提供していたということで、スルガ銀行に関する話題が続いています。
これまでの経験から、個人的な意見を述べたいと思います。
スルガ銀行の不正とは?
スルガ銀行の不正についての内容は以下の通り。
スルガ銀行の融資方針として、購入対象物件の価格の9割がローンの上限であり、1割以上の自己資金が必要。つまり1億円の物件を購入する場合、10百万円以上の自己資金+90百万円までのローンという格好となる。
しかし、実際には自己資金ゼロであるにもかかわらず、通帳を改竄し、自己資金を10百万円以上を保有しているように見せかけていたということである。
そして、仲介業者は物件価格を本来の価格よりも1割釣り上げて銀行に提示し、物件価格満額のローンを引き出すようにしていたということである(1億円の物件→水増しで1.1億円×0.9≒1億円)。また、収入を多く見せる為に、源泉徴収票の改竄も行っていると見られている。
スルガ銀行は、こういった行為を組織的に行っていた可能性があり、金融庁からの立ち入り検査を受けている。
スルガ銀行の不正についての見解
私自身の経験から言うと、組織的に行っていた、もしくは上層部が黙認していたということのどちらかしか考えられない。
通常、特定の企業に関わる融資が増えた場合、債務者個人の信用力だけではなく、該当する企業の信用力も調査するのが一般的である。今回の場合でいうと、スマートデイズ社になる。
スマートデイズ社がサブリースを行うということで、債務者個人の信用力が乏しくても、融資出来るということが、今回の案件の重要なポイントである。
つまりサブリースの提供者であるスマートデイズ社が、信用力の一部(今回の場合は信用力のほとんどの部分)を肩代わりしていたのである。
同社の売上高は2013年7月期に4億4500万円だったが、2017年3月期には316億9600万円(16年に決算期変更)まで急拡大しているという新興企業であり、財務的な裏付け、物件の稼働率など、多角的に検証する必要がある。
スルガ銀行が、同社に対する検証をどこまで行っていたのかは不明であるが、仮にスルガ銀行に対しての虚偽の情報を提供していた場合でも、実地での物件の稼働率などを確認すれば、かなり早い段階で問題を把握出来ていたと考えられる。
更に、そもそも不動産業を行っていて、売上が4年で80倍程度に膨れ上がるという段階で、常識的に懸念を抱くはずである。
これらの点を考えても、見て見ぬ振りをしていたのか、今回の不正に積極的に加担していたのかのどちらかしか考えられない。
これらを踏まえて、同行の行為は非常に悪質であると考える。
債務者個人の責任については?
上記の通り、銀行に貸し手としての責任があることについては一定程度認めるものの、個人の自己責任の部分も大きいと考えている。
そもそも、自己資金が非常に少ない中で、巨額のローンを借りるという点で、借り手側はリスクを認識すべきである。
個人がスマートデイズ社に対する、信用を確認するのは困難かもしれないが、だからといって盲目的に仲介業者や銀行の言葉を信用してしまった点では、やはり責任があると考える。過大なリスクを抱える投資については、「銀行が言っているから大丈夫」などと安易に考えるのではなく、慎重に検討する必要があるといえる。
感想と注記
今回の件で、銀行が消費者を欺く行為に、加担していたことには残念でならない。こういった事件を起こしてしまうことで、更なる規制の強化につながっていき、消費者の利便性の向上が遠のいてしまうことを懸念してしまう。
尚、今回銀行と債務者個人についての責任について述べてみたものの、このような詐欺的行為を行ったスマートデイズ社が最も糾弾されるべきことも併せて記録しておきたいと思います。往々にしてこの手の話では、主犯格ではない主体に対しての責任論の方が活発化してしまうことがあるので、気をつけたい。
はしゃぐことの大切さ
今日は、短く。
「モチベーション上げなきゃ」「がんばろう」とか口にしていることも多いと思います。僕もそんなことをしょっちゅう思っています。
しかし、成功の秘訣としては、そんなことを思っている時点でちょっと違うらしい。
実は、はしゃいでいると「モチベーションをあげよう」とか考えずに、自然と行動している。
それが大事!!
だから、周りの目を気にしたり、大人しくしないととかを考える必要なし。
ただ、思いっ切り、笑って、喜んで、嬉しがっていればいいらしいっす。
そうすると、自然と行動していて、童心の心になるので周りに人が集まっていって、そういう人がサポートしてくれるようになるらしい。
と、この本に書いてあります(笑)
非常に面白い本ですので、オススメです。
では、チャオ!
心配し過ぎることの根底には?
今日は、ただの日記というか独り言。
心配性って人は、よくいると思う。
何を隠そう、僕自身も大の心配性。
そこで、心配することの本質って何なんだろうと考えてみた。
心配する対象を気にかけているということ。
自分の将来が心配だ=自分のことをとても気にかけている
家族の健康が心配だ=家族にことを気にかけている
つまり、心配している対象のことを、常日頃から気にかけているということだ。
普通の人は、タイの北部のチェンマイに住んでいる電気の無い村の存続について心配はしないはず(笑)
なので、心配しているということは、自分の興味のバロメーターと考えてみると、少し違った見え方がしてくる。
僕が心配していることは、自分の仕事、健康、結婚、家族、日本経済、世界経済、環境問題、テクノロジーの発展、AI技術、金融技術etc
やはり、浦和レッズの今シーズンの勝敗とか、読売ジャイアンツの再起とかについて、心配していないことがよく分かる(笑)
こうやってみると、自分が大切にしたいと思えることが何なのか、少し見えてくるような気がしますね。
自分の心配事を書き出して、自分の気にかけていることに意識を向けてみてはいかがでしょうか?
では、チャオ!
キリスト教について〜『日本国民の新教養』からのアウトプット〜
少し時間が空きましたが、今回も前回どうようにKAZUYA氏の『日本国民の新教養』について気になった箇所を記録しておきたいと思います。
今回は「キリスト教」についてです。
|キリスト教とは
- 信仰者数は20億人といわれていて、世界で最大の宗教。
- 「イエス・キリスト」の教えを信じる、ユダヤ教よりはゆるい宗教。
- キリストは、実は名前ではなく「救世主」(ヘブライ語ではメシア)という意味。
- イエスが生まれた当時、その地方ではユダヤ教が広まっていたが、ユダヤ教の教えは厳しく、教えを守れない人が多数いた。そこで、イエスは「律法を厳密に守れなくても大丈夫、神さえ信じれば救われる」というように改革を進めていった。
- このイエスの改革が、ユダヤの支配層から反感を買ってしまい、裁判に掛けられる。そしてローマ総督の元で反逆罪として死刑が宣告され、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)の刑に処される。
- しかし、その死後にイエスが蘇ったという噂が広がり、「イエスはメシアだった」→「イエスは神だった」となり、イエスの考え・教えがキリスト教へと発展していく。
- イエスの教えは、弟子たちによってまとめられた。これが「福音書」となる。福音のことを英語でゴスペルといい、Good、Spell(良い、話)という意味。これがさらに時代を下って『新約聖書』としてまとめられる。
- イエスとヤハウェ(ユダヤ教の神)とは別なのかという疑問は、三位一体で、父、子(キリスト)、聖霊は一体であると考えられて、ひとつの神だと捉えられている。
- 当時、ローマ帝国が 地域一帯を支配しており、キリスト教は迫害されていた(ローマ帝国は多神教的だった)。しかし、キリスト教は「信仰を守れば死んで天国に行ける」と考えられていたので、迫害されても信仰する人々は減らず。結果として、ローマ帝国がキリスト教を認めるようになる(ミラノ勅命)。
- その後、ローマ帝国は東西に分離することになり、キリスト教も東西に分裂。西側がローマ・カトリック教会、東側が東方正教会とになる。ちなみに、カトリック教会の長をローマ教皇(法王)という。
- その後、16世紀にカトリックが宗教改革によって、プロテスタントに派生していく。この宗教改革の主導者が教科書で習う、マルティン・ルターになる。
- 宗教改革の原因は、カトリックにおける教会の勢力拡大が行き過ぎた結果によるものであり、その一例が免罪符の発行である。
- この宗教改革で、カトリックに意義を唱えた人々がプロテスタント(講義する人)となる。
- プロテスタントの一派である清教徒(ピューリタン)がアメリカに渡って、国を作っていったことから、アメリカではプロテスタントが多い。
- カトリックは、積極的に布教活動を行う一方で、プロテスタントは布教を行わない。また、カトリックや東方正教教会では、司祭(神父)といい、プロテスタントでは牧師というなどの違いもある。
ザックリと、以上な感じです。
知っていたこともありつつ、知らなかったこともありつつ、今回も非常に勉強になりましたね。
それでは、チャオ!!
ユダヤ教について〜『日本人国民の新教養』からのアウトプット〜
最近ハマっている、人気Youtuber、KAZUYA氏の以下の本を読みました。
動画同様に分かりやすく書かれていたので、面白かったです。
経済関連のことについては、既知の内容がありましたが、宗教関連の話については、一回本を読んだけど忘れた&知らなかった内容が多かったので、自分の中で整理するためにザックリとですが記録しておきたい思います(間違っていたらすいません)。
今回は、ユダヤ教について、
|ユダヤ人、ユダヤ教について
- 一神教の宗教で「ヤハウェ」を神様として考えている。
- 旧約聖書が聖典となっており、偶像崇拝禁止など色々な規律が多い(律法、10戒)。
- 厳しい掟を守ることによって、神様が救ってくれるとい考えで、「忠実な神のしもべ」という風に捉えているので、やや選民思想に的な発想。
- キリスト教、イスラム教の元を辿っていくと、ユダヤ教に行き着くので、こららの宗教とは兄弟(親子?)的な関係。
- ユダヤ人は、キリストを殺害した人々として世界中で迫害される。
- ユダヤ人は、迫害されて世界中に転々としていたため農業等が出来ず。その中で出来る仕事は金融業だったので、歴史的にユダヤ人は金融が強い。
- 迫害されていたユダヤ人が、19世紀の末頃から、発祥の地に自分たちの国を作ろうという動きが、教科書で習う「シオニズム」。
- もともと中東に住んでいたアラブ人が、ユダヤ人に追い出される格好となったため、対立が生じているのがパレスチナ問題。権力を持ったユダヤ人の力によって、イギリスやアメリカもイスラエルを支持する形となったので、問題はより複雑化する(ロスチャイルド家も支援)。
- 1948年に国連によるパレスチナ分割案に沿う形で、イスラエル独立宣言がなされる。しかし、これに反発してアラブ諸国がイスラエルと戦争を開始。第一次中東戦争となる。
- 現在も対立が続いている。
という感じです。
ぼんやりとしか理解していなかったものが、こうやって文章にまとめると、理解が深まってきますね。
では、チャオ。
アウトプットの大切さ
唐突ですが、アウトプットの大切さについて、改めて実感しました。
昔から本をよく読むのですが、最近特に読んだものの内容を忘れるようになりました。
読んでいる本の数が多くなって来たことや、年齢的なものなど複数の要因は考えられますが、正直どうにかしたいなと切実に思うようになりました。
そこで、どうやったら忘れないかを考えると、一般的に言われている「アウトプットすると忘れない」ということを思い出し、やはりインプットだけではなくアウトプットすることが大切と改めて思いました。
アウトプットする方法としては、
①人に話す
②文字に残す
の2つの選択肢があると思います。
私の場合、①に関しては割りとスムーズに出来るのですが、②に関しては少し苦手な面があるように感じています。但し、①をやった場合でも、割りと忘れることが多いような気がするので、しばらく②を意識的にやっていきたいと思います。
話すことは、意識したり、考えたりしないで出来る反面、結構支離滅裂なことを話したりしているような気がします。もし支離滅裂なことを話していた場合でも、それを確認する手段がないので、やはり文字に残すことで、きちんとあとから確認出来るようにしたいと思います。
アウトプット=考えること
となるので、自分自身に少しだけ負荷をかけて、楽しんでみたいと思います。
あと少し余談ですが、インプット、アウトプットについてのイメージとして、インプット=線形、アウトプット=非線形なメリットがあるのではないかなと着想しています。実際に、アウトプットを継続することで、この着想が現実に当てはまるかどうかも確認して行きたいと思います。
では、チャオ。